藍より青く!

名古屋あき

第1話

 今日は、俺、石森健介が三年間せっせと通った高校の卒業式の朝だ。
 俺はけっこうひげが濃いほうだから毎朝の髭剃りは欠かせない。朝剃っても、夕方にはもう伸びてしまう。栄養が行き渡りすぎてるのかもしれない。
 この全自動のシェーバーはとてもなめらかな剃り心地だ。自分で買ったんじゃなくて、18歳の誕生日に伯父さんにもらったプレゼントだけど。伯父さんは、
「お前の親父もおふくろも、こういうところには全然気が利かないからな」
と言って俺の楽屋までわざわざ渡しに来てくれたんだ。
「そういえば親父はひげなんて生えねーもんなー」
って俺がつい言ったら、そばにいた男衆の人たちが大受けしてたっけ…。
 俺はみんなにも言われるし自分でもそう思うけど母親似だ。眉毛が濃くて、目が横に長くて、昔の日本画に出てくる人みたいな顔をしている。鼻も口も大きい。反対に親父は、丸顔で目がぱちっと大きくておちょぼ口。ふつう逆だよな。
 俺は、いわゆる梨園の御曹司ってやつだ。
 俺の先祖はもともと京都で活躍していた歌舞伎役者だったんだけど、祖父の代に東京に拠点を移し、いまは東京の阿国座や歌舞伎劇場で主に舞台をつとめている。ひげの生えない親父の名は六代目菱川涼之助。いちおう立女形といえばまず最初に名前があがるくらいの有名どころだ。シェーバーをプレゼントしてくれた伯父さんはおふくろの聡子の兄で、親父と同じ歌舞伎役者の松嶋錦之助。若い頃は親父とのコンビがものすごい人気だったらしい。いま、外見・実力共にいちばん脂の乗りきっている立役だ。
 伯父さんと親父とは義理の兄弟だってだけじゃなく、師匠と弟子の関係だ。そのせいかどうかは知らないけど、普段はとても仲が良いのに、たまに親父は伯父さんに少し遠慮しているみたいに感じるときがある。
 そして、俺の家族にはもうひとり、七歳年下の弟がいる。こいつは俺と違って父親そっくりで、初舞台のときからきれいな女の子の役でないと泣き出すような子だった。智樹はこの春小学六年生になるってのに、こんな調子で学校でうまくやっていけるんだろうかと心配になってしまうくらい子供っぽい。母親がいなくちゃひとりで稽古にも行けないようなやつだ。俺が小六のときはひとりで京都の梅原先生の家に泊まりに行ったりしてたのに。こうなったのは間違いなく智樹があまりにもかわいくて周りの大人が甘やかしすぎたせいだと思う。俺だけは智樹にちゃんと男らしい生き方を教えてきたつもりなんだけど、俺のことをブラコンだって言う友達もいる。結局、アイツを厳しくしつけるなんて並みの人間には無理なんだよな。
 さて、洗面所の鏡の前でひげを剃り終わって、刈り上げをワックスで適当にセットしてると、花柄のパジャマを着た小さな人影がふらふらしながら俺にぶつかってきた。
「おはよう…」
「おはようじゃねーよ。もう遅刻だろ? 早く顔洗いな」
 俺が弟のために場所をゆずってやったら、智樹は目をこすりながら、
「お湯出る?」
 と甘え声で尋ねてくる。
「お湯より水のほうが目が覚めるぜ」
「お湯がいいの」
 智樹は生ぬるいお湯でぴちゃぴちゃと顔をぬらしたあと、小公子のように切りそろえたまっすぐな髪をブラシで執拗なくらい一生懸命とかしはじめた。俺に言わせりゃ寝癖なんか全然ついていない髪にブラシを入れるなんて時間の無駄だ。
「そんなことしてたらほんとに遅刻だぞ。女じゃあるまいし」
「いいもん。ぼく、女の子がよかったな。そしたら俊くんのお嫁さんになれるのに」
 俺は小さい頃からいまでもずっと、自分が女形の息子だという理由でからかわれたりするのがたまらなく嫌だった。「お前の親父、家でも化粧してんのか?」とか、「お前にも女装の血が流れてるから、きっと似合うぜ」とか。でも智樹は全然こたえていないどころか、心底から女への憧れをいだいている。自分も父親みたいな女形になるんだという将来を少しも疑ってないらしい。
 信じたくないことだが、小学五年の智樹にはすでに"彼氏"がいる。クラブ活動で知り合って、去年から同じクラスになったとかで、智樹にとっては毎朝学校へ行くのもデートのようなものらしい。俺なんか、同じ女と一年ももったことないのに…ってのは置いといて。
「俊くん、いつもの交差点で待ってるんじゃないのか?」
「待たせるのもたまにはいいんだよ、刺激になるから」
 俺が後ろでぶっ倒れているのも知らず、弟はぱたぱたと台所へ去っていった。
 
 卒業式は十二時過ぎに終わって、昼食をかねた卒業記念パーティーも2時にはお開きになったんで、バスケ部の下級生からもらったいくつもの花束をかかえて俺は成城の自宅に帰ってきた。
「ただいまー」
 どうせ誰もいないだろうと思って言ったのだが、予想に反して玄関に人が出てきた。
「おかえり。健介、伯父さまとお祖父さまから卒業のお祝いもらったからお礼言っときなさいよ」
 さくら色の着物に身を包んだおふくろは息子の俺から見てももうすぐ四十代とは信じられない若さで、少女のように見える。いまの時間に家にいるなんてめずらしいが、付け下げを着ているからこれから出かけるんだろう。
「お母さんこれから智樹迎えにいって藤屋のお家元のお稽古に連れて行くから。夕方には帰るけど、健介、出かけないでね。夜お父さまがお話があるんですって」
 しゃべりながら草履をはき、月謝袋の中身を確かめていたおふくろは、ふいに俺のほうを振り返った。
「あらきれいなお花。少し楽屋に持っていったら?」
「楽屋にはもうあるからいいだろ。これは家に飾ります」
「そう? もったいない」
 何がもったいないんだろう。親父の楽屋はいつも胡蝶蘭の鉢植えでいっぱいだ。花が白ばかりだからバラやガーベラの花束が彩りになるってことか。でもこれは俺がもらった花だ。わざわざ親父の楽屋の彩りにすることはないだろう。俺が花をもらうことなんてそうそうあるわけじゃないんだし。
だいたい、息子が高校の卒業式を終えて帰ってきたのなら、世間の母親は「卒業式どうだった?」くらいのことは聞くはずだろ? おふくろは子供よりもまっさきに夫のことを考える人なんだ。こうでなければ役者の女房なんてやっていけないのかもしれないけど、俺はたまに溜息が出そうになる。夫婦仲が悪いのもいやだが、良すぎるのも子供にとってはかなり居心地悪い。おふくろがいつまでも美しくいるために陰でこっそり努力してるのは、絶世の美形と言われている親父とつりあいがとれるようにという配慮からだってこと、俺はちゃんと知ってる。
 おふくろは出かけて行き、俺はだれもいなくなった家で花との格闘を始めた。
 まず、はさみを使って外側のラッピングと根元をまとめた輪ゴムをはずしていく。新聞を広げた上に花のたばをどさどさとのせ、家じゅうありったけの花瓶をならべて適当になげこんでいった。べつに俺は華道の心得があるわけじゃないから、とにかく花瓶に入れるだけ。花なんて美しく生けなくたってきれいなもんはきれいなんだしね…ってのはただの言い訳だけど。
 智樹が花が大好きだから、アイツの部屋にもひとつ置いてやろうと思ってピンクのバラを生けてたら(智樹は男のくせにピンクとかそういう色が好きなんだ)、とげが親指に刺さった。そうだ、智樹が「お花かわいい」とか言ってさわって怪我でもしたらどうしよう。くそ、とげを取ってやらないと。一本一本手で折り取るしかないのか?
 一束あったバラのとげを取ってたらあっというまに一時間たってしまった。花瓶を家のあらゆるところに置き、やっとひと仕事終わって発泡酒で一服しているうちに、俺はいつのまにかソファーで眠り込んでしまった。

「おにーちゃん、ごはんだよ」
 智樹の声で起こされたときには、日はとっぷり暮れていた。
 食堂のテーブルを見ると、もう親父も劇場から帰ってきてすっかりくつろいでる。やばい、挨拶してねえよ。親父は俺が物心つく前から礼儀にはめちゃくちゃ厳しくて、特に挨拶は、たとえ家族のあいだでもおろそかにしたら雷が落ちるんだ。
「お疲れ様でした」
 あわてて言ったけど、親父は怒っていなかった。
「健介、ビール一杯で酔うてしもたんか? 情けないなあ」
 化粧をしなくても白いきれいな顔をにんまりさせる。このやわらかそうな笑顔がくせものだ。舞台を見に来てるお客さんは、この顔が夜叉に変わったときの恐ろしさなんて想像もしたことないにちがいない。
「すいません」
 自分だって下戸のくせに…という言葉は声に出さずに飲み込むことにする。まったく、親父には嫌なところばっかり似るんだ。
「はよ座りなはれ。おつゆ冷めてしまうえ。ほら智くんも」
「はーい」
 智樹は今日はいつにもましてご機嫌らしい。口元から抑えきれないって感じで笑顔がこぼれている。身内のひいき目かもしれないがこういうときの智樹はほんとにかわいい。
「何かいいことあったのか?」
 聞いて欲しそうだったから聞いてやると、
「ふふーん」
 と生意気に笑って、こう言った。
「今日ね、俊くんとキスしたの」
 ご飯をよそっていたおふくろと、親父が固まった。もちろん俺もだ。三人で思わず交わした視線が気まずい。ついに親父が口を開いた。
「智樹。ちょっとここへ来なさい」
 いつもの歌うような抑揚が消えている。智樹はようやく自分が言ってはいけないことを言ってしまったのに気づいたようで、俺のほうを、「お兄ちゃん、助けて」という目で見た。知るか。
「智くん、さっきなんて言うたん。もう一度言うてみ」
 智樹はもう涙目になっている。
「……俊くんと、キスした…」
 親父は溜息をついて首をふった。そうだ、ここでガツンと言ってやらなきゃ。それが智樹のためだ。
「…ちょっと早すぎるなぁ。智くんはまだ五年生終わったばかりやろ。そういうことは中学生になってからにしなさい」
「だけど、中学生まであと一年もあるんだよ? その間に俊くんがぼくのこと嫌いになっちゃったらどうするの?」
うっ、智樹…なんてかわいい口答えをするんだ! しかも目をうるませて必死に訴えるから、親父もついつい甘くなってしまう。ほんとに要領がいいっていうか、甘え上手っていうか…。
「嫌いになんかなるわけがおへん、智くんこんなにかわいいんやさかい。キスなんかせんかて、自信もってたらよろしい。な?」
 智樹はうん、とうなずいた。まあ、アイツのことだからほんとに言うことを聞くのかどうかはわからないけど、少なくとも親父の前で口にする話題じゃないってことは学んだだろう。
「ほな、いただこか。お母はんも座って。……あぁびっくりした」
「いただきます」
「よろしゅう」
 牛肉と新じゃがの炊き合わせ、アスパラのソテー、梅干。卒業式らしいメニューはとくにない。わかってたことだけど。うちのおふくろはお嬢様育ちだから料理がそれほど得意じゃなくて、結婚してからずいぶん苦労したそうだ。そういうわけでうちの食卓には、ちらし寿司とか赤飯とか、季節の行事やお祝いごとを意識したメニューが並ぶことはめったにない。でも、ふつう役者の家ではお手伝いさんを雇うのに、自分で全部やってるのはすごいと思う。
 食事が終わると、親父が俺に言った。
「ちょっと、うちの部屋に来てくれんか。男どうしの話や」
 いやな予感がした。
 

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