藍より青く!

名古屋あき

第4話

「あのさ。そのさっきから言ってる許婚って…どういうことか説明してほしいんだけど」
 俺はいつのまにか、喫茶店のテーブルで、長髪の赤シャツ男と差し向かいでアイスコーヒーを飲むっていう状況におちいっていた。
 俺の前の男は、グラスの下のほうが透明になるくらいなみなみとガムシロップをそそいでストローでぐちゃぐちゃかきまわしている。見てるだけで気持ち悪くなりそうだ。
「あんた、涼之助の息子なんやろ。聞いてへんのかいな」
「聞いてない」
 キッパリ即答してやった。親父は、いままで、俺の結婚相手のことについてちょっとした理想さえ口に出したことはない。ましてや許婚なんてもんがいるなんて言われたことは断じてない。
「そうか。ほな教えてやるさかいよう聞き」
 お前、その態度がな……。ま、怒るのはわけを聞いてからだ。
「むかしむかし、オレのおじい様がうら若き美貌の家元だったころの話どす」
 おいおい話が急に芝居がかってないか? なにが"うら若き美貌の"家元だ。
「都おどりの稽古始めの日、広亭はんとこの佳りんいう舞妓に初めて会うたそのときから、若き家元はめくるめく恋のとりこになってしまいました」
 いまにも振りが付きそうな大げさな話し方だ。俺はうんざりした顔をしてみせた。でも幸生はそんなこと全然気づかないで陶酔を続けている。
「けども二人には相思相愛になれへん事情があったのです。佳りんにはもうそのとき偉い旦那さんがついてはりました。義理と人情の板ばさみ…そこで二人は約束したんや」
 幸生はテーブルの上にぐっと身をのりだした。俺はそのぶん体を引いた。
「お互い、孫ができたら結婚させましょう、と」
「……どっかで聞いたような話だな」
 前、弟の智樹に読まされた本に書いてあったストーリーに似ている。でもこいつがあんな少女趣味な本を読むとは思えないから、そこからパクったってわけでもないだろうけど。
「ちゅうわけで、オレとお前は許婚」
 語尾にハートマークがつきそうな気持ち悪い弾んだ声で、幸生は話をしめくくった。
 そうか。祖母の佳りんは親父を生んですぐ死んじゃったから、その話を伝えることができなかったのか……なんて納得してる場合じゃない。
「たとえそうだとしても男同士で許婚なんかなれるわけないだろ? お前以外に孫はいないのか?」
 女の孫でもいれば、当然その子が俺の許婚になるはずだ。
「いない。お父様もオレも一人息子やから。まあ、将来は日本の婚姻制度も変わるかもしれへんやん」
 幸生はすがすがしいような笑顔で俺を見た。やめてくれっ。
「そういう意味じゃなくて!」
 ああ、こいつほんとに頭がおかしいのかも……。
「俺はホモじゃないっつってんの。男と結婚は、っていうか恋愛はできません!」
 たとえホモでも少なくともお前は好きじゃないと思う……口じゃ言わないけど。
 すると幸生は白いのどをそらしてけらけらと笑いやがった。
「ウソや〜、素質ありありやん。あんたの父ちゃんも伯父さんもホモやろ?」
 なんだと……?
 俺は最後のタガをはずされた。自分でも逆上してることはわかってたけど、止められなかった。
 ものも言わずに幸生の頬を思い切り殴った。気づいたときにはズキズキ痛むこぶしを握りしめたまま、床に倒れた幸生を見下ろしていた。
「……ってぇ……なぁ」
 幸生の口の端からきれいな血が一筋落ちるのが見えた。ゆっくりと上体を起こして床に座る。反撃されるかと思ったけどそうじゃなかった。
「そないに怒らんかてええやないか。オレかてホモやのに……傷つくわ」
 俺はコーヒー代を払うのも忘れて喫茶店をあとにした。

 そのあと二、三日は幸生とまったく顔をあわせずにすんだ。もともとあんなに目立つヤツだから入学式のときに気づいていいはずなのに、四日目まで会わなかったってことはあまり学校に来ていないんだろう。
 今日はあの合コンサークルの新入生歓迎コンパの日だ。俺は夕方の四時から先輩たちに連れられて河原町の居酒屋「タコス」に入った。そういえば俺、酒にめちゃくちゃ弱かったんだった。合コン同好会なんて入るんじゃなかったよ。ばかだなあ、俺って…。
 「タコス」は居酒屋にしては店内がこぎれいで、メニューもアジア系無国籍って感じのしゃれた店だった。ようするに女の子が好きそうな店だ。やっぱり合コンだから店も女ウケのするのを選ぶんだろうな。
「おっ、来よったかルーキー」
 入学式の日に最初に俺に声をかけてきた四角い頭の黒ぶちメガネは、このサークルの部長さんだったらしい。いちばん上座の席から俺に手をふってきた。
「今日のお客様は名門・峡谷女子大のテニスサークルや。気合入れてな」
「まだ誰も来てないんですか?」
「当たり前や、約束の時間は六時にしとるさかい。ええか、二時間前には店に入ってトイレの場所と安くてうまい料理のチェック、それから仲間内で綿密な打ち合わせ。これ常識やで」
 ちょ、ちょっと気合入りすぎじゃないのか…? でも同好会を作ってるくらいだからこだわりがあるんだろう。それにしてもこれから六時まで注文もしないで話し合うなんて、店の人迷惑じゃないのかなあ。
 五時ごろになって男子部員がほとんど集まったとき、部長が立ち上がった。
「それでは今夜の合コン対策の話し合いを始めたいと思います。今日は新入部員がおるんで、まずはじめに自己紹介から。えー、俺は有徳大学合コン同好会会長を勤めさせていただいております不肖、中氏英資です。文学部仏教史学科専攻、今年でめでたく五年生になりました」
 口笛と野次が飛んだ。こんなことばっかりしてた結果留年したんじゃ、寺を継ぐのを期待してる両親は泣くよなぁ。
「ほな次は新入部員の紹介といこか。はいそこのルーキー!」
 指をさされて、俺はおずおず立ち上がった。
「おおーっ!」
「よっ、いいオトコっ!」
「惚れちゃいそー」
 十五人くらいの先輩が拍手と一緒にだみ声を飛ばした。もう、店の人に聞こえてるじゃないか。恥ずかしいったらない。
「……仏教文学科一年の石森健介です」
 適当に頭をさげて座ろうとしたとき、店の入り口のドアがばたんと開いて、見覚えのある真っ赤なシャツを着た人が駆け込んできた。
「すまん、遅くなった」
 俺はとっさに横にいた先輩の陰に顔をかくした。あいつを床に殴り倒したまま喫茶店を出てきてしまったことは後悔してないけど、顔をあわせるのはやっぱり気まずい。謝るべきなのかな……いや、でもやっぱりあんな言い草は絶対に許せない。そもそも最初っからキスしてきた向こうが悪いんだ。俺はなんにもしてないぞ。
「なんやぁ幸生、新入部員歓迎やっちゅうのに。もう新入部員のあいさつ終わってしもうたでー」
「すまんすまん。で、今年の新入部員はどこ?」
 幸生はひょうきんなしぐさで手をかざした。坊主頭の野郎ばかりのテーブルが、幸生がひとり来ただけで華やかになったような感じがする。
 それにしてもいやな偶然だ。梅原幸生が合コン同好会のメンバーだったなんて……しかも、部長と対等に話してるところをみると俺より二年か三年は先輩らしい。
「こいつやこいつ。うちの部ではお前以来の美形やで」
 周りの先輩たちに背中を押されて、俺はいやおうなく幸生に見つかってしまった。もしかして、今年の新入部員は俺だけってことか? やっぱりなあ。こんなヘンなサークルに入るやつなんていないんだよ普通…。
 俺を見た幸生は、みんなの前で作った合コン用の楽しげな表情を崩さずに、
「仏教哲学科四年の梅原幸生です。よろしゅうな」
 と言った。
 俺は黙って頭をさげることしかできなかった。誰かに初めて会ったふりをされたのなんて、初めてだったから。
 でも俺にはピンときた。幸生がサークルの仲間に隠したかったのは、俺にいきなりキスしたこととか実は許婚だとかいうことじゃない。それはたぶん、幸生が別れ際に言った、「オレかてホモや」ってことなんじゃないか? だってホモが合コンサークルなんかに入るわけないだろ。
 関西系のお笑いで育った先輩たちに機関銃のように話し掛けられるのに答えながら、俺は、幸生のほうを何度も盗み見た。けど、アイツが本当は何を思っているのか、どういうつもりなのか、楽しそうにしゃべってる外見からはさっぱりわからない。
 そうこうするうちに峡谷女子大テニスサークルの御一行様が到着した。部長はさっと席を立って迎えに行く。こういう行動は超すばやいんだよな、この人は。
「さあ座って座って〜」
「とりあえず飲み物何にする? はいメニューこれ」
「新しい子入ったんや、これ。可愛がってやってなー」
「わぁかわいいやん!」
「かわいいいうたら私、幸生くんのほうがかわいいと思うわ」
 女子大生たちが席に座ると、急にテーブルが活気づいた。テニスサークルというだけあってみんな日焼けしていて運動神経よさそうな感じの女ばかりだ。このサークルとの合コンも何度かこなしてるらしくて、先輩たちとは顔見知りみたいだった。
 酒がどんどん運ばれてくると、部長が立ち上がった。
「みなさん、注目!……本日は、新入部員歓迎コンパにお越しくださいましておおきにありがとうございます。それではまず、わが有徳大合コン同好会期待の大型新人をご紹介いたします。石森健介くん、どうぞ!」
 みんなが俺に注目する。ちょっと待ってくれよ、"どうぞ"って言われたって、いったい何をすればいいんだ? あたふたしてると、隣の先輩が耳打ちしてくれた。
「名前言って、飲むんだよ」
「飲むって?」
「ほら、あれ」
 先輩が指差したのは、俺の目の前に置いてあった、ポットみたいに大きなガラス瓶だった。俺が言われるままにそれを持ち上げると、みんながおおーっとどよめいて、すぐにコールが始まった。
 やっぱ、まずいよ。俺いままでこんなに酒飲んだことないし、絶対病院行きだよ。
 頭の半分ではちゃんとわかってたのに、俺は、先輩たちの大音量のイッキの掛け声と、じいっと俺を見つめる幸生の視線に追い詰められて、でかいガラスのピッチャーに満タンの水割りをそのまま飲み干した。
 そしてどすんと椅子に座ったとたん、意識がとぎれた。
 

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