藍より青く!

名古屋あき

第6話

 季節はあっという間に夏になり、俺は、大学に入って初めての試験やレポートの準備で忙しくなっていた。しかも京都の夏は半端じゃなく暑い。いつもはキャンパス内にそれほど学生の姿は多くないのに一体どこから湧いて出たんだというくらい大勢の学生がひしめきあっている大学の図書館は、クーラーなんて効くわけもなく、とても勉強できる環境じゃない。それで俺は授業が終わるとさっさと家に帰って涼しい部屋で勉強にいそしもうと思うんだけど……。
 家にもうるさいのがいるんだった。
「なあなあケンちゃんお昼なんにする? "えばんたいゆ"風そうめんでええかなあ」
 幸生は、居候の身分をわきまえてるのかどうか知らないけど、食事を作ったり掃除や洗濯をしたり、コイツにしては意外なほどまめまめしく働く。でも俺には感謝する気はまったくない。幸生が勝手に押しかけ女房気取りなだけだ。ちょっとでも、幸生がいてくれて便利だとか助かるとか思ったらその時点で"合意"になってしまう。それだけはどうしても阻止しないと…。
 幸生いわく京都の有名フレンチレストラン"えばんたいゆ"風だという、野菜のてんぷらがフランス料理ふうに飾られたそうめんを二人ですすっていると、電話が鳴った。俺が取ろうと手を伸ばした瞬間、受話器は幸生に攫われていた。
「はい石森でございます。……あ、お母様?」
 俺は思いっきり幸生を突き飛ばして受話器を奪った。
「もしもし?」
『健介? ねえ今の誰?』
「あれは、その、学校の先輩」
『あぁそう。あのね、お父様が来月京都公演なんだけど、健介のマンションに泊まっていいわよね?』
 おっ、これはチャンスだ。親父が来たら幸生も出て行かざるをえないだろう。ああ、やっとこの圧迫感から開放される。
「もちろんもちろん。大歓迎」
『それからね、夏休みだから、智樹も子役で舞台に出ることになってるの。だから、私と智樹もそっちに泊まるわ』
「え? ふうん……」
 それは、また……ひとり暮らしから一気に家族全員に戻っちゃうのか。まあいい。背に腹はかえられないもんな。
「こっちは部屋余ってるから四人ぐらい余裕だよ」
『じゃあ今月の末に荷物送るわね。暑いから食べ物には気をつけなさいよ』
「うん、じゃあ」
 受話器を下ろした俺の顔がにやけていることに気づいたんだろう。幸生は、
「どないしたん」
 と、ちょっと心配そうに聞いてきた。
「来月、うちの家族がここに来るんだ。親父と弟が舞台だから、その間一ヶ月このマンションで暮らすんだってさ」
 だからお前とおさらばできるんだよ。これが俺の上機嫌の理由なの。
 ちゃんとそこまで言ってやったのに、幸生はちっともこたえていなかった。
「ふうん。ほな、今月の終わりまでは一緒に住めるな。思い出いっぱいつくろう」
 おい。……おいおいおい! なんか、危険さが加速してきてないか?

 七月の最後の日に、親父とおふくろと弟が京都にやってきた。コーポ竹田の俺の部屋はまるで引っ越してきたばかりの頃みたいにダンボールの山ができている。中身はほとんどが親父の着物だ。ほんとに親父の着道楽にはあきれてしまう。たったひと月暮らすだけ、しかも一日のほとんどは劇場の中で過ごすってのにこんなに衣装を持ち込むなんていったいどういうつもりなんだ。
 弟の智樹はたった三ヶ月会わなかっただけでずいぶん大きくなっていた。前はただただかわいくて女の子みたいだったのに、急に背が伸びたせいなのか体つきがほっそりして、少年らしくなっている。スカートより半ズボンが似合うようになってきたっていう感じだ。
「わあきれい。お兄ちゃんずっとここにひとりで住んでたの? ずるいー! ね、お風呂見てきていい?」
 智樹は言うだけ言って駆け出していった。
「けっこうきれいに暮らしてるじゃないの。感心感心」
 おふくろはリビングのソファにくつろいで家を見渡している。こんなふうに片付いてるのが幸生のおかげだなんて、口がさけても言えない。
 今日の朝、幸生は案外あっさりと家を出て行ってくれた。恐れていた"思い出"を作られることもなかったし、"お別れのチュウ"はされたけどこれで最後だと思えば我慢もできる。
 玄関のドアを出るとき、幸生は、自分の荷物が入った大きなリュックを背負ったまま俺をぎゅっと抱きしめた。かぎなれたオレンジ系のシャンプーのにおいがした。最初はこのフルーティーな香りが甘すぎていやだったのに、今ではなつかしい。
「ほなまたね。親孝行しいや」
「お前もな」
 幸生は一瞬何か言いたそうな顔をしたけど、そのまま行ってしまった。
 俺はめちゃくちゃほっとした。はっきり言って、あのずうずうしい幸生のことだから、家族が来たぐらいじゃ立ち退きに応じたりしないんじゃないかって心配してたんだ。
 というわけで、七月最後のこの日から、家族四人だけの平和な暮らしが戻ってきた。
「四人で食べるのって久しぶりだよね」
 智樹は大好きなハンバーグをほおばりながらとろけそうな笑顔で言う。そういえば付き合ってたやつはどうしたのかな。えっと、なんて名前だったっけ……あ、思い出した。
「俊くん元気か?」
 親父とおふくろがちょっと複雑な顔をして智樹を見た。何かあったらしい。智樹は平気でハンバーグを食べ続けながらもぐもぐ言った。
「俊とは別れたの」
 え、ウソだろ? あんなに毎日毎日俊くんのことばかり言ってたのに。
「……なんで?」
「だって俊ってさ、子供なんだもん。みりちゃんのほうがずっといいよ」
「みりちゃんって?」
「僕のかのじょ」
 俺は二度ショックだった。鏡を見ながら真剣に女になりたがっていた智樹が、いつのまにか女の子と付き合ってるなんて。道理でなんだか服の好みが変わってると思ったよ。前はそういう迷彩柄のTシャツなんて絶対着なかったもんな。くそっ、お兄ちゃんは寂しいぜ。
「そやそや、健介は彼女できたんか?」
 もう、親父、涼しい顔して余計なこと言うなよ。俺は合コン同好会に入ったかいもなく、女の友達さえできないまま男と同棲してむなしい日々を送ってたんだから……。
 できませんよ、と言おうとしたら、智樹が一瞬早く口をひらいた。
「いるよね、彼女。洗面所に歯ブラシ二つあったもん、青と白」
「ほんと?」
 おふくろが俺の顔を見る。やっばー……幸生のヤツ、何で持ってかなかったんだよ。これは絶対わざとだ。アイツにしては意外なくらい素直に出て行ったから、何かあるんじゃないかと疑うべきだった。
「あ、いや、べつに、そういうわけじゃないんだ。一個はさ、掃除用に使ってるんだよ」
「ふうん」
 われながらうまい言い訳だ。
「でもお風呂場にながーい髪が何本も落ちてたよ。シャンプーもオレンジシャンプーだったし。あれサロンじゃないと売ってないんだよ。みりちゃんが言ってた。今はやってるんだって」
 おい智樹。お前こまかすぎなんだよ! ふつう、小六の男の子が風呂場に落ちてる髪までチェックするか? へんなテレビの見すぎなんだよ。
「お兄ちゃんいつも床屋だから美容院とか行かないよねえ。なんであれ使ってるの?」
 俺は大ピンチにおちいってしまった。これがほんとに彼女がいるんならいいけど、いたのは幸生だ。俺は両親に男と二人で暮らしてることだけは知られたくない。
 あれ? 待てよ。男と二人で暮らす……いいじゃん。べつにどこもおかしくないぞ。"女と暮らす"よりよっぽどましな響きだ。そうだ、俺は幸生に結婚しようなんて迫られてたから妙に意識して親に隠そうとしてたけど、実際は男同士の友達で広すぎる部屋をシェアするなんてよくあることじゃないか。俺は、幸生とはただの友達だ。これはウソでもなんでもない。何を隠すことがあるんだ。自分で自分にあきれるよ、ほんとに。
「ああ……実は友達が家賃払えないっていうからしばらく泊めてたんだよ」
「ほんとに友達?」
「智樹!」
 怒ったら、親父もおふくろもじっと俺を見つめてるのに気づいた。まったく、うちの家族はだれも長男の俺の言うことを信じないんだから。
「ほんとだよ。髪は長いけどれっきとした男」
「男か女かっていうことじゃなくて……」
 と言ったのはおふくろ。マジで勘弁してくれよ……そこまで息子のホモを許容していいのか、うちの家族は!
「ほんとにただのサークルの先輩だって」
「じゃあなんでさっき歯ブラシのことウソついたりしたの?」
 厳しすぎるよ、おふくろ……大の男に押しかけ女房されてたなんて言えないだろ。俺が言葉につまっていると、意外にも親父が助け舟をだしてくれた。
「まあええやないか、健介が違う言うてるんやさかい。友達と一緒に暮らすのはええことや。部屋もきれいに住んどるしな」
 親父、感謝! ひそかに胸の中で手をあわせていたら、テーブルの向かいの二人は、
「それはそうだけど。あやしいわ」
「うん、あやしい」
 とうなずき合う。しつこいやつらだなあ。
 どうにかこうにかその話題を切り抜けて、夕食が終わったとき、親父は俺を手招きした。そして家族で一番背の高い俺を見上げて、言った。
「ひょっとしてやけどな、一緒に住んどった友達て、梅原先生の息子さんやないか?」
 え……? ウソだろ……?
 何で親父が知ってるんだ!? このことは大学のクラスメイトにさえ一言も言ってない、俺と幸生の当事者二人しか知らないことなのに。
 親父はびっくりして硬直している俺に、
「明日楽屋に来なさい。話があるよって」
 と、俺にしか聞こえない声で命じた。
 その夜、俺は幸生のことが気になって朝方まで眠れなかった。冷静に考えてみたら、祇園を仕切る梅原流の後継ぎである幸生が、勝手気ままに家を出て友達とマンション住まいなんてできるわけがないんだ。幸生はいったい家にはどう説明してたんだろう。
 俺は幸生のことを何一つ知らなかったんだ。
 

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