お見合いもどき

名古屋あき

 映画『007』を見た影響で松嶋錦四郎がどうしても髪を染めたくなったのは、二十四歳の正月のことだった。
 当時の男性としてはめずらしく普段から髪は美容院でやってもらっていた錦四郎だが、かかりつけの美容師に「染めてほしい」と切り出すのはかなりの勇気が必要だった。というのも、彼の同業者には白髪染め以外の理由で髪を染めている人がひとりもいなかったからだ。古い役者たちの考えでは、江戸時代の日本をそのままに演じる歌舞伎役者が西洋人のように茶色い髪にするなどもってのほかなのである。錦四郎の父親はすでに亡くなっていたが、それ以上に口うるさい先輩役者たちから激しく非難されることは疑いなかった。
 それでも錦四郎はやってしまった。しかも伸びかけていた前髪を切らずになびかせるというヘアスタイルで楽屋に登場したものだから、皆が唖然としたのはいうまでもない。
「ちょっ……どうしたんですか、若旦那!」
「かっこいいだろ」
「冗談じゃありませんよ。その頭で今日の帯屋さんとの初顔合わせにお出んなるつもりですか?池田屋の雷が落ちますよ!それに向こう様だって何と思われるか……」
「かまやしねえよ」
 番頭の錦司は困りきった顔でおろおろしている。錦司は歳のわりには貫禄もあって気が利く男だが、錦四郎のとっぴな行動に振り回されるたびにうろたえるのが玉にキズだ。錦四郎にしてみれば、舞台も稽古もきっちりつとめているのだから、今の時代この程度のことで四の五の言われたくない、というのが本音である。
「かまいますとも!わざわざ京都からいらしたのに若旦那がそんな赤い髪じゃあ、江戸の役者は何を考えてるんだって気分を悪くされるに決まってますよ」
「へえそうかい。帯屋はたいそうハリウッド映画が好きだって噂だぜ。錦司、おめえ帯屋さんはこのセンスがわからねえような石頭だって言いてえのか?」
「いえそんなつもりは……」
「それにそっちの息子さんだって、役欲しさに幹部と寝まくってるって噂じゃねえか。不良息子はお互いさまさ」
「若旦那!他の人の前では絶対そんなことお口になさらないでくださいよ!」
「あほか、言うわけねえに決まってるだろ」
 とうとう反対を押しきって、錦四郎は茶色い髪のまま関西の名優・菱川友十郎(ひしかわともじゅうろう)親子と初対面したのだった。
 新橋の芝居茶屋『名古屋』の松の間で、約束の時間より十分前に来て待っていた錦四郎の前にあらわれた菱川友十郎は、非常に小柄な、人当たりのやわらかい、愛想のいい老人だった。着物の趣味や着付け、身のこなしや話しかたなどどこからどう見てもいかにも京の役者らしい人物だ。
 それに対して、後について入って来た息子のほうは、顔も上げず影のように父親の隣に座った。ひとめで女形とわかる折れそうな細身、病的なほど白い肌。正座している錦四郎の視点から見上げた顔は、こんな男がこの世にいたのかというくらいきれいだったが、女の幽霊のようなぞっとする美しさだった。噂では奔放な性格のようだが、いやに暗い奴だなあ、と錦四郎は思った。
「どうもどうも、本日はお招きいただきましておおきにありがとうございます」
 部屋の中央に置かれた梨地塗りのテーブルをはさんで三人は席についた。
「風情のあるええお座敷どすなあ」
「いえいえ、祇園に比べたら殺風景なところで……。遠路はるばるようこそお越し下さいました。お初にお目にかかります、松嶋錦四郎と申します」
 老体は目を細めてうなずきながら、
「話には聞いてましたけど、まあえらい男前どすな。ハイカラで……」
「お恥ずかしゅうございます」
 錦四郎はいたたまれなくて髪をかきあげた。正面切って非難されるよりかえって居心地が悪い。
 息子のほうも父の言葉につられて一瞬、真正面から錦四郎の顔を見つめたが、笑顔を見せるでもなくすっと目をそらした。髪を染めているのに気づいたはずなのに、そんなことをするなんて幼稚なとでも思っているのか、けだるい表情で無視している。
「秋穂、ご挨拶は?」
 痩せた青年は細く長い指先を形ばかり畳につけるふりをして、
「菱川涼之助と申します」
 とおざなりに頭を下げた。錦四郎はむかっときたが、その腹立ちはすぐにこの青年はなかなか面白そうだという思いにとってかわった。
「堅苦しい挨拶はここまでにして、どうぞ一献召しあがってください」
 錦四郎はお銚子をとりあげてまず友十郎にすすめた。
「ほな、よばれますわ」
 盃をとりあげた友十郎はどうやらかなりの酒好きのようだ。一杯ずつ飲み交わしたあと、錦四郎は今度は息子に注ごうとした。
「さあ、涼之助さんも」
「あいや、秋穂は酒は飲みまへんのや。まだ十七やさかい」
「そうなんですか?」
 錦四郎は驚いた。あまりにも落ち付いていて、ろうたけた雰囲気までただよわせているので、まさかそんな歳だとは思わなかったのだ。自分と同じか一つ二つ下だろうと思っていたのが、まだ高校生だったなんて。今度からは君づけで呼ぶべきかもしれない。それにしてもあの噂……複数の幹部役者の小指だという……本当だとしたらあまりにも早熟だ。
「ええ。すみません」
 言われてみれば声もまだ変声期の途中のような中途半端なかすれ声だった。
「じゃあウーロン茶か何か頼みましょう。仲居さん」
 錦四郎は襖のそとに呼びかけて、ウーロン茶をもってこさせ、あらためてグラスに注いだ。涼之助はそれを、まるでウイスキーのようにほんの少し唇に含ませた。
「お注ぎします」
 錦四郎の盃に酒をそそぐ手つきは、それを見ただけでも女形としての力量のほどがうかがえるくらいに洗練されている。本物の芸者でもこうはいくまい。十七のわりにはなかなかやるじゃねえか、と錦四郎は心の中でニヤリとしながら盃を飲み干した。この子の梅川なら楽しみだ。
 そもそも今日の座敷は、来月に阿国座で上演する上方歌舞伎の『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』で、錦四郎が主役の忠兵衛をやり、涼之助が相手役の遊女・梅川をやり、友十郎が忠兵衛の父親役の孫右衛門をやるので、稽古の前に互いに顔合わせをして挨拶をするために設けた席なのである。
「この子、このとおりの愛想なしどすやろ?可愛ないと思いますけど、どうかよろしゅうお頼み申します」
 友十郎は丁寧に頭をさげた。歳を取ってから生まれたひとり息子のことが心配でしかたがないらしい。
「こちらこそ、涼之助さんのお相手としては未熟者で申し訳ございませんが、よろしく御指導お願い申し上げます」
「よかったなあ秋穂、こないな好青年と共演さしてもろて。しっかり気に入ってもらわなあかんえ」
「はい」
 涼之助は返事をしたが錦四郎の耳にはいかにも嘘っぽく聞こえた。
 その夜はもっぱら友十郎と会話がはずんだ。友十郎はいままで関西の歌舞伎にしか出演しなかったのだが、これからは東京にも居をかまえ、ひとり息子の涼之助を鍛えながら江戸の芝居にも挑戦するつもりだということや、涼之助は生まれた時からずっと母親と一緒に東京で暮らしていたということなど、いろいろな話を聞いた。
 静かに脇でウーロン茶をなめている涼之助をよそに、酒も入って二人だけでけっこう盛りあがっていたところへ、襖のそとから仲居が失礼いたしますと声をかけた。
「何?」
「友十郎様にお客様がおみえです。京都の佳りん様とおっしゃる方でございますが」
 友十郎はあせったようにいきなり立ちあがった。
「なんでここがわかったんや、あいつ……」
 酒のせいだけではなく赤くなった顔から汗を流し、羽織とカバンをつかみとった。
「錦四郎はん、ほんまにすんまへんけどな、うち、これで失礼さしていただきますよって……。またお稽古のときに会いまひょ。今日はほんまおおきに、楽しおした」
 突然帰ると言い出した友十郎に錦四郎は驚いたが、訪ねて来た女との関係はうすうす想像がついたので、あえて理由を聞いたりはせず、
「それじゃ涼之助さんも早くお支度なさって」
 とうながした。当然涼之助も一緒に帰るものと思いこんでそう言ったのだが、
「いや、秋穂があとはお相手しますさかいに。ほな、すんまへん」
 友十郎は大急ぎで出ていってしまった。考えてみれば、女と会うのに息子を連れていたら具合が悪いのは当たり前だ。
 錦四郎は、涼之助と二人取り残されてしまった。雪見障子のガラスにうつる影をながめながらなんとなく気まずい雰囲気の中で何を言うべきかと考えていた矢先、涼之助が沈黙をやぶった。
「佳りんさんはね、祇園の舞妓。父のいちばん新しい女」
 ちらりと小指を立てたその仕草は、いままで猫をかぶっていた様子からは想像もつかないあだっぽさだった。ぞくりとするほどきれいな顔を斜にかたむけて流し目を送っている。来たな、と錦四郎は思った。とりあえず、
「へえ。お盛んだね」
 と無難に答えておくと、
「正直に変態ってお言いになっていいのよ」
 とずばりと言われた。低くかすれているが妙に色気のある声だ。涼之助は目を隠すほど長く伸ばした前髪をうるさそうにはらった。
「佳りんさんっていくつだと思う?十五よ。親父も親父だけど、あの子も、あんなジジイのどこがいいのかしら」
 錦四郎はよっぽど、十七のお前だってジジイたちと寝てるじゃねえかよ、と切り返してやりたかったが、ぐっとおさえて、さあ……と肩をすくめた。
「もしかして、私の噂、聞いてらっしゃる?」
 じいっと上目遣いに見つめてくる大きな黒い瞳は、嘘も誠もたちどころに見とおしてしまうような恐ろしい眼光を発していたが、錦四郎はしらじらと聞きかえした。
「噂って何ですか?」
 すると意外なことに涼之助は真っ向から答えた。
「私が偉い役者さんのごきげんとるためにいろいろやってるって」
 いろいろ、というところで、涼之助の全身からとくに何をしたわけでもないのにあやしすぎる色気がこぼれた。酒肴の用意がしてあるだけの茶屋の和室が、いつのまにか遊郭の一室の雰囲気に変わっている。役者としては稀有な才能だ。
「そうなんですか?」
 錦四郎は、誘惑されていることを楽しみながらポーカーフェイスをよそおった。このまま関係を持ってもいいが、場所を変えなきゃな……などと頭の隅では思っている。
「そんなの嘘に決まってるじゃありませんか。信じちゃだめよ、錦四郎さんは」
「最初から信じてませんでしたよ」
「うそ」
「本当だよ、涼之助君」
 錦四郎はお銚子を取り上げてすすめた。
「一杯ぐらいならいいだろう?」
 涼之助はなぜか困った顔をした。さっきの猫のかぶり具合からして、父親のいないところでは酒も煙草もやり放題だろうと推測していた錦四郎は、あれ?と思った。
「まあ無理にとは言わないよ」
 涼之助は思わずほっとした表情を見せたが、すぐにそれをごまかすように、
「やさしいんですね」
 と悪魔の微笑をうかべた。
 錦四郎が涼之助に真実惹かれたのは、このときだったかもしれない。さっきは信じていないと言ったものの、涼之助が数多くの男の相手をしているのは間違いなかった。だが父親の前ではそれを完璧に隠し通していい息子を演じている。十七歳のひとりの少年の素顔は、表に出る時を失って、娼婦の仮面の隙間であえいでいるのだ。錦四郎は涼之助を抱きしめたくなった。
 そして、したくなったら即実行してしまうのが錦四郎である。座布団からひょいと立ちあがってテーブルの向こうに回り、警戒心丸出しの顔で見上げている少年の痩せた肩に腕を回そうとしたとき。
 パシン!
 錦四郎の頬で派手な音が鳴った。
「ってぇ……」
 張られた頬を押さえて錦四郎はおおげさに体を折り曲げた。
「何するんですか。人を呼びますよ」
「痛えなあ……お前、俺に惚れてるんじゃねえのか?」
「はあ?」
 涼之助は心底バカにしきったような顔で錦四郎を見上げた。親の七光りでたまに主役をやらせてもらっている若造など眼中にも入らない、といった様子である。
「冗談だよ」
 俺がお前に惚れてるのさ、というセリフは心の中でつぶやいて、錦四郎は自分の座布団に戻った。
「もう九時だから帰ったほうがいいぜ。高校生が夜遅く一人で帰るのは危険だ。タクシー呼んでもらおうか」
「ええ」
 タクシーが来ると、涼之助は見送りを断ってさっさと帰って行ってしまった。
 客が帰ってしまった松の間は、ひとりで飲むには広すぎた。錦四郎は、すっかり冷めた酒を手酌でちびちびやりながら、どうやって次の稽古で涼之助を振り向かせようかと遅くまで考えをめぐらせて楽しんだ。涼之助の術中に見事にはまっていることには少しも気づかずに。

 彼らが本当の夫婦になるのはこの出会いから一年後のことである。

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