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2000夏 青春18きっぷ「1日勝負!!」〜高知〜

2000年8月25日

夏休み期間に限った話だが、青春18きっぷ1枚で大阪から高知へ遊びに行って、その日のうちに帰ってくることができる。臨時列車の「快速ムーンライト高知」を利用するプランである。なんと往復で電車代は2810円ポッキリ。今回はこんな格安の高知旅行に挑戦してみた。

ムーンライト高知号は週末や夏休みに運行される臨時列車の夜行快速で、通常は全車グリーン車指定席の3両編成を組む。しかし、夏休み期間は(2000年の場合、7月20日〜8月26日)指定席グリーン車2両と全席指定の普通車1両という編成になり、青春18きっぷでも乗れるようになる。自由席車はないので座席指定券(510円)を必ず用意しなければならないが、もし自由席の設定があったとしても、夜行列車の場合は座れなかったら大変なので、どちらにしても指定席を取る必要があるわけであり、全席指定であることに特に問題はないと思う。

列車は京都始発23時27分で、大阪駅発時刻は深夜の0時15分であるが、大阪駅から指定席券を取る際にはちょっとした注意が必要である。今回の場合、私の旅行日は8月25日であり、25日の0時15分に大阪駅から列車に乗ることになるのだが、これは日にちが変わって間もない0時15分ということであり、一般的には「24日の夜」として扱われる時間帯である。つまり24日の夜に乗るんだから、「24日のムーンライト高知の指定席ください」と言ってしまいそうになるが、これでは実際は前日(23日)の深夜に発車した列車を指定することになってしまう。この間違いは実際に時々あるらしく、0時を過ぎてから乗る夜行列車の座席指定の日付には十分な注意が必要である。ちなみに、私は始発駅京都からの指定席を確保したので、券の日付は「24日」になっている。つまり、該当列車は大阪発「25日」ということになる。とにかくややこしいので神経を使う。

24日の深夜23時ごろに家を出発し、とりあえず定期券を使って大阪まで移動した。そして日付が変わる24時を待って、有人改札で「25日」の印を18きっぷに押してもらい3番線ホームに上がった。このあたりも気をつけないといけないところで、うっかり「24日」の印が押されると実際は乗れないことになってしまう。特に、乗車直後に日付が変わるタイプの夜行列車(ムーンライト「ながら」の東京発など)では注意が必要である。

となりのホーム5番線から0時2分に姫路行き最終電車が走り去り、まもなく3番線に快速ムーンライト高知・松山が入線してきた。全席指定なのであわてることもなくゆっくりと乗り込み、指定の座席にたどりつく。自分はD列(窓際)だが、C列(通路側)には先客がいた。おじさんのようだがアイマスクに空気まくらの完全装備ですでに眠りこんでおり、私が前を通りぬけて隣の座席に座っても全く気づく様子はなかった。ムーンライト高知としてはたった1両の普通車だが、もともと乗っていたのは3割程度で、大阪駅で6割程度の乗車率となった。「ムーンライト高知」は機関車の次位に連結され、その後ろに「ムーンライト松山」が併結されおり、これを未明の多度津駅で切り離す。車内を見渡すと意外に女性が多く、半数近い数だろう。カップルで乗車している人や女性同士のグループ、それに一人で乗っている人など様々である。

0時15分定刻に大阪駅を発車し、ゆっくりとした速度で構内のポイント群を渡る。西明石までの複々線区間では、もちろん外側線(列車線)を走行する。機関車牽引の列車なので、加速が悪くなかなかスピードがのってこないし、惰行に入っても速度は遅い。大阪−三ノ宮間を新快速電車が尼崎停車で18分で結ぶのに対し、こちらは無停車で23分を要する。三ノ宮からの停車駅は神戸、明石、加古川、姫路で、西明石は通過する。姫路発は1時36分で、いよいよミッドナイトトレインの雰囲気になってくる。この時間になるとすでに普通列車の運転はすべて終了しているが、窓の外を見ていると、上り寝台特急や貨物列車など意外に多くの列車とすれ違う。姫路からは有効時間外になるので相生、上郡といった主要駅も通過し、岡山まで停車しない。しかし2時ごろに途中の有年駅に停車した。もちろん客扱いはなくいわゆる運転停車であるが、こんな小さな駅で乗務員の交代はありえないので、ダイヤ上の都合であろう。

しばらくして上り線を長大編成の高速貨物列車が通過していき、私のうしろの席のカップルが「貨物列車を待ってたんだね」と話しているのが聞こえてきたが、これは間違いである。ここは複線区間なんだから、上り線の列車との行き違い待ち合わせはありえない。しばらくすると2本目の高速貨が、また上り線を通過していった。停車時間はすでに10分を超えているだろう。深夜なので車内放送はないが、もしかするとちょっとしたトラブルがあったのかもしれない。そんなことを考えていると、左側の窓枠にヘッドライトの閃光が射し込み、まもなく黒い影が窓の外を流れていった。それからほどなく列車は動き出したので、下り高速貨を先に通すための運転停車だったのだろう。それにしても客車列車で速度が遅いとはいえ、いくらなんでも貨物列車より遅いはずはないので、あえて低速運転をしているとしか考えられない。

比較的短距離を走る夜行列車の場合、目的地に最適な時間帯に到着するために意図的に速度を調整して走るか、もしくは途中駅に長時間停車して時間を稼ぐという方法が取られることがある。たとえば九州を走る夜行特急の「ドリームつばめ」の場合、熊本駅で1時間30分の長時間停車の設定があるが、深夜に停車中の列車で目が覚めてしまった乗客は再び眠りにつきにくいということもあるので、基本的には低速運転による時間調整のほうがいいとは思う。大阪−高知間の場合、距離は350kmほどなので、普通に走ると表定速度70km/hでも5時間で着いてしまい、車内で眠る時間が短くなりすぎてしまう。東京−高松間を結ぶ「サンライズ瀬戸」などでは走行距離が805kmにのぼるため、特に時間調整をしなくても下り列車では東京発22時、高松着7時26分という非常に使いやすい時間帯になっている。表定速度85km/hというなかなかの高速運転である。ちなみに、この下り「ムーンライト高知」の京都−高知間の表定速度は51km/hということになる。

運転停車のところから話が長くなってしまったが、列車は夜のとばりの中を黙々と走り続けている。客車というのは車両にモーターを搭載していないため騒音は台車からの走行音のみで、夜行列車としては特に快適である。このあたりで景色も単調になってきたことだし、そろそろ眠りにつくことにした。時刻はすでに2時30分を過ぎている。しかしウトウトしたのもつかの間、デッキとの仕切扉を開閉する音が騒がしいので目を覚ますと、列車は岡山駅に停車していた。今度は運転停車ではなく乗客の乗り降りがあり、隣でずっと眠っていたおじさんもサッと起きてさりげなく降りていった。時計を見ると3時15分で、29分の発車までしばらく時間がある。発車表示板には「ムーンライト号は、多度津駅で高知行と松山行になります。」の文字が流れている。ホーム向かいには上りの「ムーンライト高知・松山」京都行が停車しており、また20分過ぎには隣のホームを寝台特急「さくら・はやぶさ」長崎・熊本行ブルートレインがゆっくりとした速度で通過してゆき、岡山駅で繰り広げられる真夜中の寸劇を楽しむことができた。

3時26分、上りムーンライトが一足早くホームを去り、こちらも発車の時刻が迫る。そして定時の3時29分、軽い揺れとともに列車は動きはじめた。ここから瀬戸大橋線に入るが、実際に瀬戸大橋を渡りはじめるまでにはしばらく時間があるので、また一眠りすることにした。そして4時5分、浅い眠りから目を覚ますと列車はちょうどトンネルを抜けたところで、いままさに瀬戸大橋に進入しようとするところであった。夏といえどもさすがにまだ真っ暗で、闇の瀬戸内海を越えていく。景色も見えず退屈なので、再び眠りについた。

午前5時、目を覚ますと外は薄明るく、蒼く染まった四国の車窓が広がっている。後ろを見ると客車がもうなくなっていて、この車両が最後尾になっている。多度津駅で後方の「ムーンライト松山」を切り離したためだ。昨夜の大阪駅以来、深夜帯につき取りやめられていた車内放送が再開され、阿波池田到着を告げる。まだ早朝だが、若干の人が降りていった。次の停車駅、土佐山田までは1時間25分の時間があるが、外が明るくなってきたので眠りにくい。もう少し眠らないといけないと気をもんでいるうちに時間は過ぎていき、土讃線屈指の名勝大歩危・小歩危が近づいてきた。小歩危駅の前後から進行方向左側に美しい渓谷が見えはじめ、吉野川を越えるハイライトの橋梁を渡ると、今度は右側にパノラマが広がる。まだ時刻は6時前の早朝だが、多くの乗客が座席を移動するなどして雄大な車窓を楽しんでいた。

そうこうしているうちにロクに眠りにもつけないまま始発が動き出す時間帯となり、単線の土讃線では列車行き違いのための運転停車が増えてきた。土佐山田6時48分発のあと「次の停車駅はゴメン…」こんなアナウンスが聞こえてきて耳を疑ったが、どうやら「後免」駅のことらしい。なんともまぎらわしい駅名があるものだ。その後免駅を6時57分に発車し、終着駅高知には7時13分の到着。列車は入換のためすぐの発車となりますと車内アナウンスがあり、下車客の流れは終点なのに妙に慌ただしい。

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一夜を明かした快速ムーンライト高知

とにかく眠いが、復路列車の発車時刻13時44分まであまり時間がないため、有効に使わなければならない。帰りは昼行にするか夜行にするか迷ったが、土讃線の美しい車窓を日中に楽しむのを旨として、昼の鈍行を乗り継いで帰ることにした。しかしまだ交通機関や観光地は稼動していない時間帯なので、とりあえず駅前の喫茶店に入って観光のプランニングをすることにした。モーニングセットはバイキング形式で、コーヒーはテーブルまで持って来てくれるが、パンやサラダは自分で取りに行かなければならず、旅行中で疲れていて時間がない身にとっては面倒なシステムだ。今回は滞在時間が非常に短いので、観光地は「桂浜」と「はりまや橋」に絞ることにしている。坂本竜馬の銅像と記念館で有名な桂浜は高知市街から10kmほど離れており、バスに乗らなければならない。持参した観光ガイド本を見ると桂浜行きのバスははりまや橋から出ているようなので、喫茶店で一服ののち、ひとまずはりまや橋に向かってみることにした。

駅から15分ほど歩き、8時30分すぎにはりまや橋に到着した。桂浜行きのバス停はすぐに見つかったが、初便は9時30分発でまだまだ時間があるので、とりあえずはその名が有名な「はりまや橋」を見物することにした。ところで、いまいるのは「はりまや橋バス停」で、ここから四方を見渡すと「はりまや橋商店街」「はりまや橋公園」「はりまや町」「はりまや交差点」など、そこここに「はりまや橋」の名が関せられており混乱するが、どうやら「はりまや橋」というのは周辺一体の地名で、「橋」自体を具体的に指すのではないようだ。「飯田橋」や「心斎橋」と言った時に、“Bridge”という意味での「橋」をイメージしないのと同じである。しかしもちろん「はりまや橋」は実際に存在する橋であり、はりまや交差点の北西側に朱塗りの欄干の小さな橋が忘れ去られたように架かっていた。長さ20mにも満たない小さな橋で、しかも平成10年完成というから何のおもしろみもない。橋の横に「江戸期はりまや橋の由来」と題された記念碑が建っており、その説明にはこう記されている。

“藩政時代、堀で隔てられていた豪商播磨屋(はりまや)と、富商櫃屋(ひつや)が互いの往来のために架けた私橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。当時は、簡素な木造りの橋でした。〜中略〜 ここに架かる木造りの橋は、平成五年、全国から寄せられた六八〇件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を基に、江戸期のはりまや橋として再現したものです。”

これはつまり、豪商淀屋が架けた私橋でいまにその名を残す「淀屋橋」と全く同じルーツである。しかし、とにかく完成が新しすぎて歴史の匂いが感じられないのが残念である。

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はりまや橋交差点を路面電車が行く / 朱塗りの欄干のはりまや橋

ここから近くの観光案内所まで歩いたが、営業は9時からでまだ10分ほど時間があるため、中央公園という公園で一休みすることにした。桂浜行きのバスの発車場所と時刻はすでに分かっているが、帰りのバスの時刻を調べておきたいのだ。地方では路線バスの本数は極端に少ないところがあるため、場合によっては帰りの列車に間に合わないということも起こり得るからだ。一歩間違うと特急料金等で数千円が飛ぶハメになるので、慎重に行動しなければならない。

9時になり観光案内所が開いたので、復路のバスの時刻について訪ねてみたところ、どうやら約30分毎に出ているようなのでバスの時間の心配はなさそうだ。そしてバスの時刻だけでなく、坂本竜馬記念館へ行くには終点の桂浜ではなく一つ手前の記念館前で降りればよいということなど、いろいろていねいに教えてくれた。それから郵便局に寄って国際郵便を送る用事を済ませ、はりまや橋バス停で桂浜行きのバスを待つことにした。同じ観光客風の人が5〜6人集まったところで、定時から2分遅れのバスがやってきた。当停留所始発ではない様子で、すでに結構混雑していたが、席には座ることが出来た。ここから約30分で桂浜に着く。距離は10kmほどで運賃は560円、まあまあ妥当といったところか。タクシーだと3000円ちょっとの距離だから、4〜5人のグループならタクシーを利用してもいいかもしれない。

バスは高知市街を南下していくが、フェリー乗り場の桟橋通5丁目を過ぎたあたりから少しずつ景色も良くなってきた。途中ウトウトしたりしていたが、昨夜の睡眠不足を考えるといたしかたない。浅い眠りからふと目を覚ますと、窓の外に大きな海が広がっていて、どこまでも澄んだ海の色は、近くはエメラルドグリーン、遠くはダークブルーで、美しいグラデーションを描いている。このバスは桂浜行きだが、一つ手前の竜馬記念館前で下車し、まずは坂本竜馬記念館を見学することにした。ここから桂浜まで徒歩で行けるということはすでに確認済みである。91年に完成したという記念館の建物はハーフミラー仕上げの総ガラス張りでバブル絶頂期の迫力を今に伝えるが、高知県立なので入館料は350円とリーズナブルで、展示内容もまずまずの充実度だった。そしてここから歩いて丘を下る細い林道を抜けると、10分ほどで桂浜を一望できる竜馬銅像前に到着した。像は思っていた以上に巨大で、大きな台座の上に乗ってたくましく太平洋を眺めている。この周囲には闘犬センターや物産品店など観光客向けの施設が集まり、東尋坊などとよく似た雰囲気である。アイスクリーム屋が露店を構えているのも定番。

ところで、ここ高知は気温は高いものの湿度はそれほどでもないようで、今日は朝から睡眠不足の身体で歩き回っているが、太陽の下を歩いていても汗はほとんどかかない。乾燥した風が適度に吹きぬけるのも爽快な気候に一役買っているようだ。また陽光はまぶしく、気のせいか大阪に比べて空の色も深いような気がする。

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坂本竜馬記念館屋上からの眺め / 竜馬の銅像

帰りのバスは観光バスターミナルから発車するため、乗車券を前売りする窓口があり、路線図や発車時刻表が掲げられている。次のバスは11時50分発、高知駅前行きで、途中はりまや橋を経由するのではりまや橋で降りるか高知駅前まで行くか選択できるようだが、高知駅前までの運賃は610円ではりまや橋までより50円高いため、はりまや橋で下車することにした。往路と同じようにウトウトしながら40分ほどではりまや橋に到着、ここから朝は開いていなかった商店街を歩いてみることにした。高松や松山ともよく似たアーケードの商店街で、長さもそこそこある。帰りの列車の時刻まで1時間ちょっとしかないが商店街を突き当たりまで歩き、「ひろめ市場」という海鮮料理を中心に扱う飲食店が集まる商店街で昼食をとることにした。ちょうどお昼時のため、中に入ると地元の人たちで賑わっており活気がある。

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商店街には広末涼子の巨大ポスター、さすが地元だ

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市場のまぐろの漬け丼、おいしかった

時間もあまりないことだから、入口近くにある海鮮丼を中心とした料理店で、まぐろの漬け丼(550円)を注文してみたが、これが素晴らしく美味で、控えめな価格とあいまって大満足であった。ここから商店街をまた戻り、はりまや橋から北上して高知駅に到着したのは13時20分。栄養ドリンクを買うためにコンビニをずっと探していたのだが見つからず、駅の売店でお茶のペットボトルだけを買って、まだ時間は早いが改札を通ってホームに立った。自分が乗る阿波池田行きの列車は1番線から13時44分に発車するので、改札の向かいにある乗車位置で列車を待つことにしたが、このホームには岡山からの特急「南風」3号、中村行きがすでに入線していた。ここ高知では14分間の長時間停車で、多度津から併結してきた「しまんと」7号をここで切り離し、3両の短い編成になって13時36分出発していく。窪川からは3セクの土佐くろしお鉄道線を経由し、清流四万十川のまち中村へ至る残り115kmの道のりである。

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道路標識には四国各地の主要都市が並ぶがいずれも遠く離れている / 南国ムードただよう高知駅

南風が発車するとほどなく車庫から2両編成の気動車が側線へ現われ、駅の端で折り返して1番線に入線してきた。普通、阿波池田行きである。13時44分に高知を発車し、後免、土佐山田、大杉、大歩危を経由して15時56分に阿波池田に到着する。2扉の車内はオールロングシートで、3〜4席ごとに仕切板が付いていて定員着席を支援している。入線直後は空いているが、発車時刻が迫ると立客が出るのはローカル線では毎度の光景である。土佐山田までは凡庸な景色が続き退屈したが、山田からは景色が良くなってきたので運転席横で景色を眺めていたら、次の新改がスイッチバック駅になっており度肝を抜かれた。蒸気機関車時代には勾配上で停止、加速することに保安上問題があったため、本線から分岐した側線を平坦にし、そこに停車場を作って停車させ、後進してから本線上に合流するというのがスイッチバックの由来であるが、現在では気動車も性能が良くなったため勾配上からの起動が可能であり、スイッチバックを用いる必然性はなくなりつつある。これはまさに国鉄時代の名残を今に残すローカル線風情の極みなのである。

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四国山地を抜ける美しい車窓 / 新改駅のスイッチバック

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素晴らしい渓谷美 / シェルターで覆われた厳しい線形を行く

このあたりから少しずつ山に入りこみ、 大杉あたりからは本格的な渓谷美が広がってきた。ずっと単線なので時折対向列車の遅れのため数分遅れたりするが、のんびり旅行ではそれも気にならない。大歩危では遅れている下り特急南風7号を先に通すため、5分ほどの遅れが生じた。振子気動車の特急型らしい豪快なエンジン音が山間に消えるとまもなく発車。歩危峡は早朝と日中ではまた違った趣で、乗客の多くが四国屈指の景勝を車窓から楽しんでいる。こうしてみるとやはり旅行者が多いようである。その渓谷美はトンネルやシェルターで時折妨げられるが、やはりそれだけ線形が厳しいということなのだろう。線路の場合、道路ほどの急勾配や急曲線を設置できないため、山間部ではどうしてもトンネルの区間が長くなりがちである。阿波池田では24分の接続で普通、高松行きの列車がある。今度はキハ58四国色の4連で、車内はガラガラのまま出発した。国鉄型らしく鈍重な加速で、大きなエンジン音とともに車内にまで燃料の匂いが漂い、駅構内全体に白煙が充満する。鉄道は通常環境に優しい乗り物とされるが、こんなに少ない乗客で煙ばかり吐いて走っているこの列車はいかにも不効率そうな感じがしてしまう。

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エンジン全開で山越えに挑む

この列車は高松行きなのでずっと乗っていれば高松に着くのだが、日暮れ前に瀬戸大橋を渡りたいので多度津から南風リレー号に乗り換え先を急ぐことにした。途中の坂出からも岡山行きの快速マリンライナーに乗ることができるが、マリンライナーは混雑がひどいため始発駅高松から乗車したいのである。この列車の多度津到着は17時29分の予定だが、多度津の一つ手前の金蔵寺で突然足止めを食らってしまった。複線電化区間なので遅れの原因が全く分からなかったが、車内放送で「ただいま多度津駅が列車でいっぱいで入れないため、発車を見合わせています。」という説明があった。これまでも多少の遅れはあったが、10分以上も遅れは初めてである。結局、多度津到着は17時45分になり、12分で接続の「南風リレー」には間に合わなくなってしまったが、車内放送によると多度津到着後同じホームの向かい側から岡山行きの列車がすぐに発車するというから、これに乗り換えることにした。時刻表にはない列車でどうなっているのか理解に苦しんだが、岡山まで行けるのならそれに越したことはない。そして到着後、あわてて向かいの列車に乗ろうとしたがこれがなぜか高松行きで、いよいよわけがわからなくなってきた。すぐに駅員に「岡山は?」と聞くと、阿波池田から乗ってきた列車の坂出方に入線するという。それから1分ほどしてJR四国の6000系電車がやってきた。これで岡山まで帰れるとは楽ではないか。この駅が始発のようで、それほど混雑することもなく発車した。斜め前の席から聞こえてくる会話を聞いていると、どうやら予讃線で昼ごろに踏切事故があり、そのあとにももう一件踏切事故があったらしく、列車の遅れが続いているようだ。ローカル線は列車本数こそ少ないものの、単線区間が多いのでダイヤの乱れが意外に波及しやすい。

宇多津駅を発車した列車は宇多津ジャンクションの壮大な高架線路を走り、瀬戸大橋へアプローチ。ここを通るのはもう9回目になるが、この風景だけは何度見ても感動できる。ゆく夏を惜しむ夕日が瀬戸の穏やかな海に映り、無数の島々が幻想的な霞の中に浮かび上がるのを見ながら、列車は80キロ程度の速度で強固な橋梁を渡っていく。これは途中の島部にある人家への騒音を配慮しての速度制限である。瀬戸大橋は建設当時から複線新幹線と複線在来線が並んで通れるように設計されており、本州側のアプローチトンネルも複線用が二つ掘ってある。しかし整備新幹線計画は年々厳しさを増しており、四国新幹線が瀬戸大橋を渡る日が来るのか、はたまた20世紀の壮大な夢に終わるのかはわからない。

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瀬戸の美しすぎる夕景

瀬戸大橋を越えると外も暗くなりはじめ、景色も見えにくくなってきた。この列車は普通なので児島から上の町、木見と各駅に停車するが、これが意外にわずらわしい。考えてみればこの区間は快速でしか通ったことがなく、途中駅に停車する列車は初めてである。しかもなぜか単線で行き違い列車の待ち合わせがあったりする。岡山方は高架複線化工事がたけなわであるが、特急「しおかぜ」「うずしお」、快速「マリンライナー」に加えて寝台特急「サンライズ瀬戸」など優等列車が高密度に錯綜するこの交通量を、現在のところ単線で処理しているということに驚きを禁じ得ない。岡山では駅北側のマクドでスーパーバリューセットで夕食にした。通常なら駅弁といきたいところだが、残念ながらその余裕もないほど貧乏である。夜で景色の見えない列車の友にするため週間文春をコンビニで買い、8時に改札をくぐった。次に乗る列車は20時22分発の姫路行きであるが、この列車がクセモノで20分前にはホームに着いておかないと座れない恐れがあるのだ。というのもこの列車の前の姫路行きは19時3分発で、次の姫路行きは21時16分。要するに約1時間おきというわけである。しかも列車は短い4両編成。岡山は田舎とはいえ仮にも県庁所在地だし、通勤ラッシュの時間帯に幹線の山陽本線で4両編成の電車が1時間に1本というのはいくらなんでも少なすぎる。

改札を抜けるとひとまず新幹線コンコースへ向かい、「マスカットきびだんご」を買ってホームへ降りた。さすがに20分前だと人もまばらだが、いい席を確保するため乗車位置の上にしっかり並んでおく必要がある。列車は10分ほど前に入線し、作戦通り進行方向窓側の座席をゲットした。ここから姫路までは1時間ちょっとであるが、夜で全く何も見えないのでそれなりに退屈するところである。列車は案の定の混雑で岡山を出発したが通勤客は一駅ごとに減っていき、瀬戸あたりで長距離客ばかりが残った。週刊誌に読みふけり、後半に差しかかったぐらいのところで網干到着。ここから新快速に乗り換えることができるので降りることにした。姫路でも乗り換えが出来るが、窓際の確保という意味ではここで乗り換えておくほうが確実だろう。15分の待ち時間で新快速野洲行きが入ってきた。223系2000番台の熱線吸収ガラスはサングラスのように暗く、夜は明石海峡大橋のライトアップ程度しか見えない。神戸、三ノ宮はこの時間でもさすがに活気があり、通勤客がどっと乗り込んで混雑した。平日夜のため芦屋は通過するので次の停車駅は尼崎である。

私の住む尼崎はロクな街ではないが、新快速がとまること「だけ」は取り柄(とりえ)である。しかしこの便利さが侮れない。尼崎のフットワークは、東京でいうと代々木上原(小田急線と営団千代田線の接続駅、その機動力が買われて芸能リポーターの梨本氏も住んでいるらしい)に匹敵すると思っているのだが、どうだろうか。神戸線新快速・快速・普通、宝塚線快速・普通、それに東西線(学研都市線直通)快速・普通が加わって、乗り換えなしで行ける範囲は西から時計まわりに三ノ宮・明石・加古川・姫路、宝塚・新三田・篠山口・福知山、大阪・京都・大津・彦根・米原、長浜・近江今津、北新地・京橋・長尾・木津・奈良と広範囲に及び、南大阪を除く関西圏のほとんどの場所に乗り換えなしで行ける。しかもJRだからスピードが速い。さらに特急「北近畿」など福知山線系統の特急も停車するため、和田山、豊岡、城崎など県北部へも一本で行ける。とまあ列車の便利さではどこにも負けない場所だが、どうやら住宅地としての人気はいま一つのようである。やはり尼崎は名前が「アマガサキ」である限りダメなんだろうか。そう考えると、イメージというものほど怖いものはないかも。

 

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